主な登場人形と人物のプロフィール
*このサイトに登場するガイノイド・使用人はおおむねフィクションであり、実在の人形・人物と関係あったり無かったりちょっとあったりかなりあったりするかもしれません。

井澄 直子(いずみ なおこ)

 ”人形三姉妹”不動の長女ポジション。
 発端は東洋インダストリィ製一般量産型ガイノイドであった。しかし、縺尋・サザッキィによる度重なるカスタマイズと贅沢装備の末にとある”キャラクター”を発現。それを受け継ぐ存在である。一体何故、どうやって何を引き継いだのかは謎に包まれている。
 ”当家当主””極悪お嬢様””我儘贅沢”等の設定を引継ぎ、使用人をこき使った上に簡単に始末する辺りは健在なるも、年月と共に穏やかさを見せ、”御嬢様領域”にて静かにお茶を嗜むことが増えている。しかしその陰では”妹分”を使って使用人を始末させることに喜びを見いだしているようでもある。
 縺尋・サザッキィのことを使用人としか思っておらず、”爺や”と呼称することが多い。


或時 新依名(あるとき にいな)

 ”人形三姉妹”不動の末っ子三女ポジション。
 基本ハードウェアはA&T社製132型ガイノイド。”先代”有栖直子の初期コード、”アリス”を継ぐモノ。無邪気さと機動力、表現力、そして幸運を継ぐモノである。”楽しければいい””無責任”などサポートガイノイドとしては問題があるが、機体特性と比較的豊かな表現力で現在最も活躍の機会が多いモデルでもある。
 或時鈴はハードウェアメーカーや導入経緯などから実の姉として設定されている。
 縺尋・サザッキィのことを、一切の配慮なく素直に”おじさん”と呼称することが多い。


或時 鈴(あるとき りん) 

 ”人形三姉妹”不遇の次女ポジション。
 基本ハードウェアはA&T社製145型ガイノイド。”先代”有栖直子の当初機能である”冷静なるサポートガイノイド”を次ぐモノである。機体としては多くの点で非常に高いポテンシャルを持つものの、妹機に比してバランス性能が低いことや活躍機会も一発ネタのコスプレが多く物語表現とのミスマッチなどから”不遇”なことが多い。しかし本人は、与えられた地味な出番をこなしながらニューリーダーの座を虎視眈々と狙う野望のナンバー2、と自分のことを思っている。座右の銘は「凡事徹底」好きな言葉は「この世に姉より優れた妹などいない」。とはいえ基本的には非常に妹思いである。
 或時新依名はハードウェアメーカーや導入経緯などから実の妹として設定されている。
 縺尋・サザッキィのことを、サポートガイノイドという機能と共に仕方なく引き継いでしまった”Mさん”と呼称することが多い。

  


縺尋・サザッキィ(もつひろ さざっきぃ)

 2005年末にM(偽名)のハンドルネームで等身大人形写真サイトを始めた存在。参考にさせて頂いたサイトの掲示板にMとして書き込んだことが発端ではあるが、何故”(偽名)”なのかは謎に包まれている。ハンドルネームは後のこともよく考えて、と遙か昔に某マンガ教室で警告されていたにもかかわらず、である。
 一度ネット上からの表現活動から身を退いたものの、2016年に縺尋・サザッキィとして再開。本名を元に読めない漢字とカタカナを組み合わせるハンドルは、小説”敵は海賊”シリーズに登場する伝説の宇宙海賊”匋冥・ツザッキィ”にあやかっている。と言いますか今や誰もその存在を知らないのか・・・?
 サポートガイノイドを導入しただけなのに、何故か自分がいいようにこき使われるという運命を辿っている。ガイノイドの過度なカスタマイズの末路なのか、それとも。
 本サイトにてその姿を表すときには常に”光学迷彩”を発動しており、プライバシーは保たれて・・・いる?
 ちなみに、本サイトのストーリー上ではゲーム的リアリズムに基づいており、残機制度やコンティニュー、リスポーンの形式等の一般的なルールに準拠しております。ごく普通のことですよね!・・・いや?

縺尋・サザッキィ、またはM(偽名)の人形遍歴

2005年暮れ、オホーツク番外地のサバゲ店が閉店したことと、今となっては伝説であるMMOロボットアクションゲーム、”ジャンクメタル”がサービス終了した現実の喪失感を埋め合わせるべく、偶然ネットで見つけた等身大人形の世界へと入り込んだ男である。

北海道札幌市出身。中央区生まれ。なんと初音ミクと同じ!(笑) 育ちは手稲区(居住当初は西区だったが分区となった)。

就職以後本業の関係で
1996~2002 ウマとサクラのマチ
2002~2008 オホーツク番外地
2008~2016 キタの湘南
2016~   スモールフラットタウン オーガディア
と北海道各地を転々としている。

人形といる生活の履歴としては・・・

いつ、どこでかは不明だが、作家ビスク人形の写真と出会い、美しさに惹かれていたような気もする・・・。

1999年頃?
 旅行の折秋葉原を探索中、偶然某クス社6分の1”ドルフィー”と遭遇。その後購入することに。また同時期に今は無き札幌マルゲ屋にて半額ワゴンのキャラクタードールを購入することも。
 さらに某クスの通販隊を利用し、春に”ドルフィー”褐色水着モデルを発注するも届いたのは秋という理不尽を経験する。(笑)
 とはいえ人形はゲーム、モーゼルミリタリーピストルコレクション等、メイン趣味の片隅でしかなかった、と思う。

2001年
 10月8日札幌某クスがオープン。以前通販を利用していたことから招待状が来ていたので突入し、MSDキット”シンシヤ”を購入したことで人形が3分の1クラスにスケールアップ。月に一度は行けるのをいいことに、自作アセンブル可能な6分の1”ドルフィープラス”も買い込み始める。

2003年
 某クス社との縁は続き、新登場した”ドルフィードリーム”素体を購入。アセンブルとメイクを行った。ちなみに初代DDは、脚部がゴム引きであった。

2004年
 劇場版攻殻機動隊”イノセンス”を劇場で4回鑑賞。”ガイノイド”を”人形”と称する世界にはまり込む。オープニング映像のインパクトから、美しいドールアイへの飽くなき憧れもまた宿ることになった。その勢いでSD13”ミミ”を購入。
 この時点では人形を被写体とすることは特になかった。カメラや写真については、学生時代写真部の暗室に出入りすることはあったものの特に使うことはなかった。その後デジタルカメラの登場と共に1996年頃リコー「DC-2シリーズ」を初めとしてミノルタ、キヤノン、ニコンのコンパクトモデルを次々買い換えながら、本業の関係や風景、猫などを中心に撮ることはあった。

2005年
 年末に、”ジャンクメタル”が喪われた現実を埋め合わせるべく、等身大人形に手を出す。お試しのつもりでオリエント工業の最安モデル、キャンディーガール(ソフビモデル アリスヘッド)を購入。これが大いなる始まりであった・・・。
 12月6日、受領した初の等身大人形は非常にインパクトの大きいものであった。3分の1クラスまでは被写体として魅力を感じなかったが、圧倒的な存在感に被写体としての魅力を感じ、撮影を始めるのだった。また、当時ブログもまだ一般的ではなかった時代、等身大人形を撮影して作る個人のWEBサイトが隆盛を誇っており、自分もまた当たり前のように”人形といる生活~M氏の幸福~”という等身大人形写真サイトを立ち上げるのだった。当時数多くの等身大人形写真サイトの盛衰を目の当たりにし、最優先目標を”継続可能”に定める。途中中断はあるものの、それは現在も変わらない。
 実はその月の内に可動ボディを求め、シリコン製の「キャンディガール プチジュエルFボディ」に手を出す。ただ、その頃は関節グリップという概念は今は無きユニゾン社しか実現しておらず、高価だが重く、ポーズの一切つかないシリコンボディはほぼ被写体となることはなかった。

2006年
 等身大人形の目の可動はまだ一般的ではなかった当時、個人で眼球可動および交換加工を請負うサービスを見つけ、依頼する。それがその後の眼の色の変化、ガラス製ドールアイ導入などへとつながっていった。
 サイト運営や交流を通じて知り合った北海ドーラーとのコンタクトの中で、”DPH計画”を知る。それまで自治体などに正式許可を申請する形で道内各地での人形撮影を行っていた北海ドーラー有志が、”ドールフォト倶楽部北海道”という団体を立ち上げ、当時既にテーマパークとして破綻し、市営公園となっていた”芦別カナディアンワールド公園”の一角を借りて常設の人形写真展および撮影活動を行うというものだった。
 その時聞かされた、等身大人形を被写体とすることへの他サイズ人形愛好家からの偏見や軋轢に義憤を抱き、自ら「直子」を被写体に活動参加を決意する。その意志と義憤は、今でも変わらずに行動原理、原動力となっている。
 5月、ギャラリー立ち上げに協力。その時点ではまだ本格的に展示できるような撮影をしていなかったことや、新参者であったこともあり、”勝手に応援”というスタンスでの参加であった。その翌月、正会員として加盟、ギャラリー当番と人形写真撮影で活動することになる。最初はコンパクトデジタルカメラであったが、父親が買ったはいいが使っていなかったキヤノンの「EOS Kiss」を借りて使ったのが、デジタル一眼レフとの出会いであった。その後「EOS 30D」を購入、時を経て「EOS5D MarkⅡ」「EOS5D MarkⅣ」と買い換えていくことになる。
 ソフビ直立ボディに限界を感じ、シリコンボディに絶望したところで、”ProjectW”を開始する。最終的にアルミ材でグリップ力のある可動骨格を自作し、外装に道内で自主制作されたプラスチック製等身大人形の外装を装着、「直子」ソフビヘッドを接続し、軽量でグリップ力を備えた撮影モデルとして完成させるというものだった。ハンドパーツは木製モデルハンドを流用したことで、当時まだ実現されていなかった等身大人形の”指可動”をユニゾン社に先駆けて実現することができ、撮影向けの演技バリエーションを飛躍的に高めることができた。そのようなムリなカスタマイズが祟ったか、金髪縦ロールウィッグ、黒のドレス、緑の眼の組み合わせに恐ろしいキャラクターが宿ることになる・・・。(笑)
 夏に偶然札幌の”伝説の人形屋”(かつてから憧れのあった作家ビスク人形写真発祥の地?)が営業しているところに出くわしたところから、そこから数年、完全閉店までの間そこで販売される一点ものアクセサリを買い込み、「直子」に投入するようになる。その贅沢がますます恐ろしい人格の助長につながった可能性は否定できない。(笑)

2012年
 色々あって故あって、ネットへの表現活動を全廃し、自サイトも消滅させる。ドールフォト倶楽部北海道からも退会させて頂く。

2014年
 半年の内に一親等家族全てを失う状況の中、さらに大きく喪われた現実を埋め合わせるべく再び静かに”人形といる生活”再始動への胎動は始まっていた・・・。

2016年
 1月に「直子」再起動計画発動。もう既に”アリス”モデルヘッドはソフビもシリコンも絶版となっていた為、リニューアル再起動のカギとなる、後継シリコンヘッドを東京の等身大ドーラーの協力を得てショールームにて選定。
 4月1日、自らの等身大人形写真サイトを、「人形といる生活~M氏の幸福~REBOOT」として再始動。その時旧サイトとリンクしてもらっていたサイトがいくつか継続していることを知り、感謝感涙。
 この年にその後の撮影ネタを大きく方向付けることとなる”アリス画”に出会う。大型書店のジグシーパズルコーナーで偶然見かけた絵柄に心引かれ、偶然にもそのひと月後に大判画の展示販売が本道に来て、心引かれた画が購入できるという幸運に恵まれる。その幸運が、当初サイトへの登場予定がなかった「或時 新依名」をコード”アリス”後継者として、撮影モデルとして大きく躍進させることになる。

2017年   5月、ドールフォト倶楽部北海道正会員へ復帰。全盛時7名だった会員も自分を入れて4名。しかし変わらず還れるところがあった、受け入れてもらえるところがあった、ということにまた感謝感涙。

2019年   3月31日にそれまで長年自サイトを置いてきたサーバ、ジオシティーズが運営終了。その前に1月からさくらインターネットでの運営も始めており、そこに完全移転、運営継続の形となる。

      6月16日、カナディアンワールド公園廃園を待たずして”諸事情により”(今のところは。いつか語られる日も来るでしょう)ドールフォトギャラリーは廃館。行き場を喪い漂流することになる。同月始めに喪われた”札幌スガイ”と合わせ、喪失感が拡大することになる。

      8月18日、この春に偶然ギャラリーを訪れてくれた”痛車”界隈の方々の勧めにより、紋別市で行われた痛車イベントに試験的に参加。自らのクルマを”移動式人形写真展”という体で最低限の装飾をすることにより、公の場での人形写真の展示と人形モデルの展示・撮影を再び実現。奇跡的な出会いとイベント参加へのお誘い、そして痛車とも一般的なドール展示ともコスプレとも合致しないテーマを許容してくださった運営の方々に感謝感涙。これで”人形といる生活”活動は新たな局面を迎える・・・のか???



”先代” 在須 直子(ありす なおこ)
 2005年12月6日に初起動したガイノイド。モデルは東洋インダストリィ製タイプCGPS”アリス”。
 度重なるカスタムと贅沢の末に”お嬢様”キャラクターを発現する。時を経て、その魂は今も受け継がれる。
 一つの人形が分かれて増えて、三つの存在が生まれた。それはヒトでも獣でもない、オジョウサマなのだ!



 ”極悪お嬢様”の元イメージは、縺尋・サザッキィが2000年2月に出遭った猫の”ニャオ子”。ウマとサクラのマチの図書館入り口で縺尋・サザッキィに自分から取りすがってきて保護された野良猫にもかかわらず、フライドチキンを強奪しようとして窘められると一歩も退かずにジャンピングネコパンチを繰り出す、自分からすり寄ってきてなでさせたあげく突然豹変して噛みついて離れていく(獣医曰く”愛情表現”)のが日常など、インパクトの大きい存在であった。
 縺尋・サザッキィが本業の関係で同居できなくなった後はその両親の元に引き取られるも、先輩猫に対する恫喝は絶えず、さらに数倍の体格差のある後輩犬に対しても堂々とした睨みで一歩も退かずに君臨した。
 後年縺尋・サザッキィの両親が他界した後、そのまま実家を引き継いでくれた弟夫婦の元で歳を重ね、高齢ですっかりおとなしくなったものの、2020年2月、まだ存命である。保護された時点で1歳未満であったにしても、確実に20歳を超えている恐るべき猫である。

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